赤と青のミックス思想
どうも田中翔太です。福岡では寒さが強さを更に増し、日々耐え続けている日々です。
さて、今日のテーマは「赤と青のミックス思想」というテーマです。以前までは「赤と青の複合概念」だったのですが、それでは固すぎて聞いていてもつまらないと思ったので書き換えました。
皆さんは赤と青と聞くと何をイメージしますか?
一般的に赤は「情熱、勇気、怒り、緊張」などで青は「冷静、真面目、誠実、献身的」などのイメージがあると思います。(色彩などがビジネスとして生きている現代の市場での理解、一般的私見)
さて、題名にある通りなぜ「赤と青のミックス思想」なのかというと私はこの二つを掛け持ち合わせる人間が魅力的でこのクソつまらない現代の社会情勢を変える素質がある人間だと思っているからです。
この考えは新しいわけではありません。どのような文書を読んでも、「人間の中でリーダシップを発揮できる人間、又はそのような能力・スキルに長けている人間は総じて人を引っ張る力、人の魂を鼓舞する熱意と冷静な判断、正しい客観的な私見でチームをまとめることができる。」というような文を見たことがあると思います。
近年の、プロレタリア文学ではないですがビジネス書・自己啓発本では「リーダーはその2つあるいは他のタスクをこなせなくてもリーダーとして確立される!」と言うように、「リーダー」という概念が半ば壊れており日本国憲法1条のように「象徴」と言われるものに移り変わるものや「ダメなリーダーの例、5か条」などの著書で印税を稼ぐのではなく「他の人がついてくるリーダー」や「リーダーは弱くていい」というような精神的側面を支えることに重きを置いているような著書も多い。
このように、総じてリーダーが「熱意を持っていて冷静な判断を下すことが全て!」というような考えは前代の価値観になるゆく目立ちなのかもしれない。
さてここで「赤と青のミックス思想」の登場です。
そもそもなぜ赤と青なのか?
なぜ掛け合わせる意味があるのか?
私は人間の地位・名誉・権力にある時期フォーカスを当てて何が今の社会情勢のようにクソつまらない現状を生み出してるのかを分析した。
根底には、紀元前のアパルトヘイトや白豪主義などの人種差別が問題だと私は考えた。
そもそも、人間には間違いなく「差別する考え」がある。それは、価値観やライフスタイルなど様々だが1番最初に出てくるのは「見た目」である。
その「見た目」が原因で人間は何千年も争い、地位・名誉・権力を奪い合った。日本で例えるなら部落差別、えた、非人などの文化だといえるだろう。
長々と文章を書いたが結論から言うと人間の体の内側は全人種共通で赤色の血管である動脈が身体中を駆け巡り、青色の血管である静脈によって心臓に返ってくるという事はそもそも人間の肉体は「ミックス思想」なのである。
つまり、赤色の血管である動脈で熱意を送りこみ青色の静脈で冷静な思考を宿すための「心臓」に循環機能を宿している。
まとめるならば、人間には「差別する力」が従来備わっているが理解をするのに何百年と時間をかけている。
しかし、そもそも人間というのは赤い血管である動脈と青い血管である静脈がある限り情熱と冷静を司る力も備えていると証明できるのではないだろうか。又は、そのエネルギーを血で流し社会に有益をもたらし自分にすら有益をもたらす。この文の意図は人間そのものが平等であり正しい対応を取って然るべきだという意味を込めている。
現代日本では「多人種共存社会」であるためこのような思想はあってもいいと私はかんがえる。たしかに、「ダメなリーダー」でも良いのだが一人一人が意識をすることでこのクソつまらない社会情勢、この世界すらも活性化することができるのではないかと私は考えており、差別・偏見や地位・名誉・権力などの問題にも人間全単位で意識すれば「なくならない」と言われている「いじめ問題」にも決着をつける事ができるのではないかと考えている。いわば、企業が求めている「行動力」や「inside out」:主体変容などの内発的動機などの元来このような教育観を持っていない現代の日本教育期間に問題があるのではないだろうか。