田中翔太ブログ 呟きやぼやき集

福岡にある大学で日々を過ごし夢を追い続けている人間の日々

私の考える人間像について

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私は若干20歳ながらよく「人間はこうあるべきだ!」と考え、自分の抱いている理想像と今の現実像とのギャップを埋めながら生活をしています。

 

いつかの倫理学の講義の際に「人間は性善説が教養として施工されれば、犯罪という概念は存在しないしそもそも、差別や偏見・地位・名誉について敏感になったりましてやそれらを行うようなことはない。」と主張したのですが、ワールドワイドな女性から「その考え自体が私は違うと思う。」と鋭く言われ議論が素早く展開しました。

 

私は人間が優しく人間として教育されているのであれば(この時点では仮定)人に対しても、他人に対しても対外的に優しくしより良い人間関係が生まれ社会情勢が変わると考えていたので、それを言われた時は驚きました。

 

確かに、「人間は生まれた時から優しく犯罪をせず悪い存在ではない!」(教育によって性格を善くすること)と言ってしまえば、

一側面から見た人間には、「社会に協力的で犯罪抑制に繋がるなんて良い思想なんだ!」といい、

 

一側面から見た時に半ば宗教的な教え・教訓となってしまうからだ。

 

彼女の意見を聞く限り、私の考えている人間像とは一面的に見た正義であり、自己満でしかないのである。

 

このように、近年の学生の思想、教育観は「自由」という意味を基盤作りからではなくそもそも幾何学的や人工物として生み出すものではなく、備わっているものでそれらを規定することすら間違っている。と考えているのかもしれない。

 

私の考えている人間の求めるべき人間像は人それぞれで私が正解と認め発信するものではないのかもしれない。